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高浜原発再稼働へと暴走する関電。1年前再び [原発再稼働]

関電の八木社長が「高浜の原発を7月に再稼働申請する」と表明した。原子力規制員会の安全基準施行後にあわせてすぐにでもという感じだ。これに対して京都や滋賀の周辺知事はもとより京都市長なども反対していく姿勢だ。まるで昨年の大飯原発再稼働と同じようなパターンになっている。

長谷川羽衣子さんは緑の党の代表になる前の昨年4月7日琵琶湖畔での「大飯原発再稼働を許さない4・7関西集会」で反対運動のことについて次のように話している。

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 ↑大飯再稼働で初めて現地闘争を覚悟し始めた琵琶湖での集会(2012年4月7日)

「あらゆる人が参加できるようなデモを実行したいと3.10の参加者を見て思いました。再稼働を止めることをこの6000人の集会で決議しました。呼びかけ人の一人として再稼働の時には現地でアクションをすることを計画しています。大臣が福井に説明に来た時と政治判断して本当に再稼働が現実になるとしている時です。はっきりと抵抗を示さなければならないと思っています。」

AFT_7108-120424.jpgそして418日からの使い捨て時代を考える会槌田顧問の関電京都支店前ハンスト応援に加わり槌田さんとともに支店内での説明を聞く立ち合いを務めた。424日に当時の牧野経産省副大臣が京都府庁に再稼働の説明に来たときには府庁正門前に立ち反対の意思表示をしたりしていた。

←府庁正門前での抗議(2012年4月24日)

617日福井市内での「いのちが大事・ふくいでつながろう」の集会でマイクを握った1分スピーチでは「ゲート前での座り込みをする時が来た」とトレードマークの黄色いTシャツで3000人の参加者を前に覚悟のほどを示すこととなった。

  

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 ↑福井で決意述べる(2012年6月17日)

 6月19日には京都市内のツイッターでの呼びかけで集合した多くの人とともに雨の中を関電京都支店前を2周するデモの先頭に立って声を張り上げていた。

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↑再稼働が迫る、雨の中必死の再稼働反対の呼びかけ (後方が関電ビル。2012年6月19日)

そして630日から72日にかけて大飯町で泊まり込み71日に警察官によってごぼう抜きにされた。71日再稼働が始まった。

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 ↑大飯原発ゲート前での座り込み(写真撮影:粟野仁雄さん)

この座り込みへのについて後に本人は経過報告とともにこう述べた。

6/30-7/2にかけての大飯原発トンネル前封鎖は、とても大きな意味を持つ行動だったと私は感じています。それは、日本では「過激」だとレッテルを貼られかねない行動に、大勢の市民、特に女性や子ども連れの母親・父親が参加したことにあります。

都市部のデモでは、世間に広く脱原発をアピールするという意味が大きいので、いたずらに警察の指示に逆らうことは、決して賢明な行為ではありません。しかし、今回のように政府が再稼働を強行することに抗議し、抵抗することは私たちの権利です。それが例え警察と対峙することになっても、全く無抵抗に再稼働を許すことが正しいとは思えません。

封鎖行動に参加する前、私には恐れがありました。それは逮捕される可能性への恐怖ではなく、世間や同じ脱原発を掲げる人たちから「過激派」だというレッテルを貼られることへの恐怖でした。実際、テント村の若者には、「おおい町の住民の心を乱す」として、脱原発活動をしている人たちからの強い批判がありました。

私は封鎖アクションには賛成でしたが、決行した場合、どのくらいの人が参加してくれるのか、警察に抵抗するような行動を否定しているNGOや、世間から強い批判を受け、「過激派」と見なされるのではないか、という心配がどうしても拭えませんでした。

しかし、6/30-7/2にかけて、大飯原発トンネル前には多くの市民が集まりました。皆、「再稼働反対」の強い意志を持ち、交通手段のほとんどないトンネル前までわざわざやってきた人たちです。当然、警察と対峙する覚悟を持って、逮捕の可能性がゼロでないことも分かって参加していました。そして、誰の指示でもなく自ら座り込み、権力や「過激」というレッテルを恐れず非暴力を貫きながらも、決して警察に服従しなかったのです。

武器を持たずにインドの独立を成し遂げた、偉大なガンジーは、「非暴力」だけではなく「不服従」を掲げ、行動しました。ガンジーは決して無抵抗主義だったのではありません。非暴力を貫きながらも、決して支配者の指示に従うことはなかったのです。

今回大飯原発トンネル前で、私ははじめて「不服従」の行動を行い、そして多くの人が同じように行動するのを目の当たりにしました。再稼働を止めることはできませんでしたが、この「不服従」が実現できたことにこそ、大きな意味があると思います。

市民の行動が社会を変える、その可能性を感じた35時間でした」。
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